フランク・シナトラ
Frank Sinatra (1915-1998)
ジャズはその発祥の地ニューオリンズから、時代と共に少しづつ北上していった。
それはミシシッピィ川とその支流であるミズーリ川を遡上するようなかたちで北へと向かい、カンザス・シティなどを経由して、1920年代、シカゴはジャズのメッカとなっていた。
1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦し軍需産業が拡大してゆくなか、南部の黒人たちが労働力を補填するため大量に北部に移動したのが、その大きな理由と言われている。
1922年にフレッド・フィッシャーが作詞作曲した「Chicago」は、その時代を代表するスタンダード・ナンバーとして有名だ。
フランク・シナトラ、1915年、ニュージャージー州ホボーケン生まれ。
17歳のときにビング・クロスビーの歌を聴いて歌手を志したシナトラは、ハリー・ジェイムズ楽団、トミー・ドーシー楽団の専属歌手を経たのち、ソロ・シンガーとして独立した。
1945年に45曲、46年に57曲、そして47年には69曲も立て続けに歌を録音し、その黄金時代を築きあげた。
彼の姿を一目拝もうと2万5千人の女性ファンが劇場を取り巻き、700人以上の警官が出動、ブロードウェイが大混乱に陥ったというエピソードはあまりにも有名だ。
喉を痛めて声が出なくなったり、マフィアとの関係が取り沙汰されて人気に翳りが見えた時期もあったが、1954年の映画『地上より永遠に』でアカデミー助演男優賞を獲得したのを契機に見事カムバックを果たし、以前にも増して力強く深みのある声で多くのファンに感動を与えた。
「Chicago」はカムバックした後に録音されたヒット・ナンバーで、彼の代表的なレパートリー曲となった。
シナトラの唄は歌詞がとても聞き取りやすい。
イタリア移民の息子としてこの世に生を受けた彼は、そのことで差別されるのを嫌い、努力に努力を重ねてイタリア訛りを直し、正確なイングリッシュの発音を心掛けていたという。
そんな少年時代の逸話を知ると、ますます彼が好きになる。
今宵も、シナトラに乾杯!