ライザ・ミネリ Liza Minnelli

ライザ・ミネリ

Liza Minnelli (1946- )

傲慢なサックス・プレイヤー、ジミー・ドイルとの生活に終止符を打ったフランシーヌは、レコード会社と専属契約を交わし、ソロ歌手として独立した。
やがてフランシーヌは次々とヒットを飛ばし、ミュージカル映画にも出演。うなぎのぼりの人気を得てゆく。
そんなある夜、彼女が出演するクラブの客席に、ジミーが現れる。
フランシーヌは、かつて二人が地方巡業していたころ、ジミーが彼女のために作曲してくれた思い出の曲「New York, New York」を唄う。

ライザ・ミネリ、1946年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
父親は監督のヴィンセント・ミネリ。母親は女優のジュディ・ガーランド。
父親が監督し母親が出演した映画にゲスト出演したのは2歳のとき。14歳でニューヨークの舞台にデビュー。
19歳のとき、ブロードウェー・ミュージカル『Flora the Red Menace』でトニー賞の主演女優賞を受賞。
1968年からは映画へも出演するようになり、72年の『キャバレー』では、アカデミー主演女優賞とゴールデン・グローブ主演女優賞をダブル受賞。

1977年製作の映画『ニューヨーク・ニューヨーク』は、1945年、第二次世界大戦が終わったばかりのニューヨークで出会った、サックス奏者とクラブ歌手のロマンスを描く辛口のメロドラマだった。
アメリカン・ニューシネマのテイストを持ったマーティン・スコセッシ監督の演出は、残念ながら一般観客には受け入れられず、興行成績は延びなかったが、この映画からは後年に残る著名なスタンダード・ソング「New York, New York」が誕生した。

映画ではロバート・デニーロ扮するジミー・ドイルが作曲し、フランシーヌが詩を加えて曲を完成させてゆくプロセスが丹念に描かれていたが、実際に作詞作曲したのは、ジョン・カンダーとフレッド・エブ。ボブ・フォッシーのトリビュート・ミュージカル『シカゴ』でも好評を博している名コンビだ。

「New York New York」は映画よりも、フランク・シナトラがレパートリーに加えたことによって有名になった。ライザはこの歌を唄うとき、「最近はシナトラって新人が唄っているらしいけど、本来は私がオリジナルなのよ」と、ジョークを交じえて紹介していた。

2001年10月、ライザはウィルス性の脳炎に罹り、かろうじて一命を取り留めたものの、今後は歩くことも喋ることも不可能と診断された。
病気療養中は体重が40キロ以上も増え、再びステージに立つことは二度とないと、ファンの誰もが絶望視していた。

そのライザが、2002年6月、ブロードウェイのビーコン・シアターで、7夜連続のライブを行った。
今年(2003年)リリースされた「Liza's Back」には、そのときの、奇跡としか呼びようがない、感動的なステージが記録されている。

往年の、迫力ある歌声を聴くことはもう出来ない。高域は潰れ、かすれ、フレーズはブツ切れになっている。元気に跳び回り、明るい笑顔を絶やさなかった、あの永遠に若くて快活なライザは、ここにはいない。

客席の熱いラブコールに応え、得意曲の数々を熱唱するライザ。
「Never Never Land」の終盤で母親ジュディ・ガーランドの愛唱歌だった「Over the Rainbow」の一節を加え、感極まって思わず「ママ!」と感謝の声を洩らしたライザに、客席は大きくどよめいた。

もう一度ステージに立って歌いたい。ただそれだけが彼女の望みだった。
その熱い願いが、奇跡の復活をもたらしたのだ。
世界中でただ一人、ライザでなければ歌えない世界が、このライブ盤にはくっきりと刻印されている。

今宵も、ライザ・ミネリに乾杯!

≪ Sammy Davis Jr Dean Martin ≫
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