フレッド・アステア
Fred Astaire (1899-1987)
弟はいつも、姉に引け目を感じていた。 姉のアデールは幼い頃から天才少女と呼ばれ、彼女の気品に満ちた優雅なダンス・スタイルは絶賛を浴びていた。 弟はこの偉大な姉を、生涯敬愛してやまなかった。
フレッド・アステア、1899年、ネブラスカ州オマハ生まれ。
父親はオーストリアからの移民で、彼の家族は全米を巡業する旅役者の一家だった。
特に父親のピアノと姉アデールのダンスは見事なもので、一家の名声はこの二人の才能に支えられていた。
フレッドはニューヨークでダンスを学んだが、姉と一緒の舞台に立つときは、自分は彼女の添え物でしかないと、常に実感させられていた。
1931年、二人が共演したミュージカル「バンドワゴン」はブロードウェイで大ヒット。
しかしロンドン公演で渡英した際、アデールがイギリス貴族と結婚し芸能界を引退したために、姉弟のコンビは解散。
フレッドは30を過ぎて、失業同然の日々を送ることになってしまった。
転機が訪れたのは1932年のことだった。
脇役で出演した映画、『空中レヴュー時代』でジンジャー・ロジャースとコンビを組んだダンス・ナンバー「キャリオカ」が、観客の心を一気に掴んだのだ。
相方のジンジャー・ロジャースはそれほどダンスがうまい訳ではなかったが、フレッドのダンスはジンジャーとコンビを組んだときが最高だった。
女優のキャサリン・ヘプバーンは語っている。
「フレッドの品格とジンジャーの媚びが絶妙にマッチするのだ」と。
姉譲りの優雅なスタイルに、アメリカ的奔放さを加えたフレッドのダンスは、世紀を越えて、世界中の人々に愛され続けている。
今宵も、フレッド・アステアに乾杯!