コール・ポーター
Cole Porter (1891-1964)
コール・ポーター、1891年、インディアナ州ペルー生まれ。
大富豪の家庭に育ち、幼いときからピアノとヴァイオリンを習う。
十代の初めから作曲を始めた。
本人はフットボール選手に憧れていたが、背が低くて夢は叶わず、エール大学からさらにハーバード大学へと進み、卒業後はパリに渡ってヴァンサン・ダンディに作曲を師事する。
アメリカのソングライターには貧しい少年時代を送り、のちにチャンスをつかんで成功を収めるという立身出世タイプが多いが、コール・ポーターは家庭に恵まれ、つねに順風満帆のエリートコースを歩んできた。
最初の挫折は 1916年。
パリ留学から帰国したコールは、初めてのミュージカル「まずアメリカを見よ」を上演したが失敗。その後も鳴かず飛ばずの歳月が流れ、14年後の1930年、「ザ・ニューヨーカーズ」がヒットして、ようやく人気作曲家の地位を確立する。
この「ザ・ニューヨーカーズ」のなかで歌われたのが、「Love For Sale」。
余りといえば余りにもストレートなタイトルからも判るとおり、この曲は街頭に立って客を引いている売春婦を歌ったもので、公序良俗に反するという理由から放送禁止となった。
1930年と言えば世界恐慌の真っ只中。
工場労働者が解雇され、農産物価格の暴落に苦しむ農民は洪水や疫病などの自然災害に叩きのめされていた。家や土地を失った流れ者が増加し、都会の夕暮れどきには街角で客を誘う娼婦の姿も多く見られた。
当時のマスコミは「Love For Sale」を放送禁止にすることで、この社会問題に無関心を装ったのだ。
パリ仕込みの自由な思想を身につけたポーターには、臭いものには蓋をするアメリカの偽善性が、滑稽なものに感じられたに違いない。
時代をシニカルに見つめ、都会的センスでヒットソングを作り続けたコール・ポーターは、アメリカを代表するソングライターのひとりだった。
今宵も、コール・ポーターに乾杯!