ビング・クロスビー Bing Crosby

ビング・クロスビー

Bing Crosby (1901-1977)

第二次世界大戦が終結し、ショウ・ビジネスの世界に復帰したボブとフィルは、ガールフレンドを誘ってバーモント州パイン・トゥリーへスキー旅行に出掛ける。
あいにく雪は降っておらず、ホテルは閑散としていたが、そこで下働きしていたのは大戦中2人が所属していた部隊の隊長、ウェイバリー少将だった。

ボブとフィルは世話になった少佐への恩返しに、ホテルでショウを催す計画を立てる。
クリスマス当日、全国に散らばっていた旧151部隊の戦友たちがホテルに集まり、ボブはレパートリー曲の「White Christmas」を唄う。
その歌声が奇跡を呼んだのだろうか、今年は無理だと思われていた雪が降ってきて、パイン・トゥリーのスキー場は、みるみるうちに白銀の世界へと変わってゆく。

ビング・クロスビー、1901年、ワシントン州タコマ生まれ。
厳格で敬虔な家庭に育ったビングは、両親の強い薦めでイエズス会が経営するキリスト教の学校に入学した。しかし唄うことが大好きだった彼は大学を中退し、音楽仲間とウエスト・コーストに行き、ポール・ホワイトマン楽団の歌手として芸能界にデビューする。

リズム・ボーイズの一員として楽団に加わった最初の頃はソロを唄うことは出来なかったが、やがて実力を認められて同楽団の看板スターへと成長した。
1934年、友人であるジャック・キャップがデッカ・レコードを設立したのを契機に、ビングは専属契約を結び、生涯73曲をビルボードにチャート・インさせる偉業を成し遂げた。

ビング・クロスビーは数多くの映画に出演している。
ボブ・ホープやドロシー・ラムーアと共演した『珍道中』シリーズでも、ビングの甘い歌声は大きなセールスポイントになった。
アカデミー主演男優賞を受賞した『我が道を往く』や、その続編『聖メリーの鐘』で彼が演じたオマリー神父そのままに、誠実で洗練された明るい人柄は、一般のファンのみならず共演者たちにも好まれた。
『上流社会』や『七人の愚連隊』で共演したフランク・シナトラとの篤い交友関係は、特に有名だ。

「ぼくは歌手(シンガー)じゃない、語り手(フレーザー)なんだ」
自伝「コール・ミー・ラッキー」で自ら述べているように、ビングの歌声はソフトで温かく、語りかけるような優しさに満ちている。

いつの時代にも人々に夢と希望を与え続け、星の数ほど多くのヒット曲をレコーディングしてきたビングだが、その中でも一際輝いているのが「White Christmas」だ。

私が夢見るのはホワイト・クリスマス。
梢の煌めきと、子供たちの声。
雪駆けるソリの鈴の音さえ聞こえてくるようだ。

1954年、パラマウント映画がヴィスタヴィジョン第1作として製作した『ホワイト・クリスマス』でも感動的な場面で唄われていたが、もとはアーヴィング・バーリンがミュージカル映画『スイング・ホテル』(原題:「Holiday In」)のために1941年に作詞作曲したナンバーで、とかく暗いニュースが続く戦時下のアメリカで大ヒットとなり、アカデミー主題歌賞も受賞している。
クリスマスの定番ソングとして、いまでは世界中の誰もが知っている名曲だ。

今年も……いや、これからも毎年、我々はクリスマスを迎えるたびに、ビングのソフトな歌声を聴くことになるだろう。

今宵も、ビング・クロスビーに乾杯!

≪ Charles Chaplin Sammy Davis Jr ≫
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