ピーター・ボグダノヴィッチ Peter Bogdanovich

ピーター・ボグダノヴィッチ

Peter Bogdanovich (1939- )

誰もが「嫌な時代だ」と愚痴をこぼしていた1930年代、大恐慌時代のアメリカ。
荒涼としたカンザスの片田舎を旅する、一組の奇妙なカップルがあった。
甘いマスクの女ったらし。夫を失ったばかりの未亡人に、口八丁で聖書を売りつけるのが稼業のケチな詐欺師モーゼ。
男癖が悪かった酒場女の母親に先立たれ、天涯孤独。遠くミズーリに住む親戚の家へと向かう、9歳の少女アディ。
二人の珍道中の背景には、いつもラジオから、陽気なスウィング・ジャズが流れていた。

ピーター・ボグダノヴィッチ、1939年、ニューヨーク州キングストン生まれ。
30年間に6000本以上の映画を観たという映画狂。

ジョン・フォード監督のロング・インタビューを収めた著作は、フォード研究には欠かせない名著とされ、映画評論家としての地位を確立。やがてフランスのヌーヴェルヴァーグ一派と同様、自ら映画製作に乗り出した。
監督デビュー作は、ロジャー・コーマン製作の低予算アクション『Target』(68年・日本未公開:TV放送題名『殺人者はライフルを持っている』)。
より自由な製作環境を得るため、フランシス・フォード・コッポラ、ウィリアム・フリードキンと共に「ディレクターズ・カンパニー」を興し、製作も兼ねて監督にあたったのが、1973年の『ペーパー・ムーン』だった。

スタンダード・サイズ、モノクローム撮影と、外見こそオールド・ファッションだが、キャメラ・アングル、照明、編集はニューシネマ以降の、自由な、間違いなく70年代のスタイルで撮影された作品だった。

この映画でボグダノヴィッチは、偏執的なほどに1930年代の再現を試みている。
ロケ地は延べ8000キロを旅して選定しているし、小道具等は、30年代に製作された映画で使用されたものを、パラマウントの倉庫の中から探し出してきた。
登場人物たちが着ている服は、ビング・クロスビーやジョージ・ラフト、ロバート・テイラー、ジェイムズ・キャグニーたちが実際に映画で着ていた衣装だ。

パール・ホワイト楽団の「It's Only A Paper Moon」はじめ、ビング・クロスビー、トミー・ドーシー楽団、ホーギー・カーマイケルなど、全編に散りばめられた30年代のヒット・ナンバーは、すべてボグダノヴィッチによる選曲だ。
アメリカン・ポピュラーがお好きな方は、その粋なセンスに、思わず頬を緩められることだろう。

チャップリンの『キッド』を連想させる疑似親子のストーリーの結末に、ボグダノヴィッチは、同じくチャップリンの『モダンタイムス』を連想させるロングショットを用意していた。
そう言えば、チャップリンの死後、バート・シュナイダーによって製作されたドキュメンタリー『放浪紳士チャーリー』(1975)でも、スクリプター(記録係)として参加していたし、ボクダノビッチにとって『ペーパー・ムーン』は、チャップリンへの敬愛の証(オマージュ)だったのかも知れない。

ボグダノヴィッチの最新作は、1924年、W.R.ハースト(『市民ケーン』のモデルとなった新聞王)の豪華ヨットで実際に起こった殺人疑惑を描いた『ブロンドと柩の謎』(2001年製作・日本公開は2003年6月)。
ノスタルジックな趣味が横溢している映画で、ヨットに乗り合わせた招待客の1人としてチャールズ・チャップリンも登場し、ハーストの愛人マリオン・デイヴィスの尻を追い回していた。

今宵も、ボクダノビッチに乾杯!

蛇足:
ボグダノヴィッチは『ペーパー・ムーン』に先立つ1971年の『ラスト・ショー』で、1950年代のヒット・ナンバー約30曲を選曲して用いた。
この音楽使用法は、後にジョージ・ルーカスが『アメリカン・グラフィティ』で模倣し、映画音楽愛好家に蛇蝎の如く嫌われる「既成曲コンピレーション・サントラ盤」ブームの先鞭をつくってしまう。

余談:
アディを演じたテイタム・オニールは、この作品によってアカデミー助演女優賞を獲得。授賞式当日、彼女はまだ10歳と148日で、史上最年少の受賞となった。

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