チャールズ・チャップリン Charles Chaplin

チャールズ・チャップリン

Charles Chaplin (1889-1977)

近代化の波に翻弄されながら、ようやく掴みかけた平凡な暮らし。
それも束の間の夢に終わってしまった。
心優しき放浪者は、絶望する少女に語りかける。

「笑いなさい……微笑みを忘れなければ、人生ってそう捨てたもんじゃないんだよ」

1936年製作の映画『モダン・タイムス』は、放浪者と少女が、どこまでも続く長い道を歩み始める場面でラストをむかえる。
二人の行く末を温かく見守っていたのは、チャップリン自身が作曲した名旋律「Smile」だった。

チャールズ・スペンサー・チャップリンは、1889年、ロンドンに生まれた。
両親ともに劇場で活躍する歌手だったが、彼が2歳の時、離婚。
物心つく前から劇場に出入りしていたチャーリーは、喉を痛めた母親の代理として舞台に立ち、見よう見まねで覚えていた歌を唱った。
これがチャップリン5歳の時の初舞台となった。

チャーリーが7歳になった時、母親は精神に障害をきたし精神病院に収容される。
以後母親は63歳で息を引き取るまで入退院を繰り返し、幼い兄弟は孤児院を転々とする生活を強いられた。
チャーリーは10歳のとき劇団に入団し、地方巡業の旅にでる。
天性の身のこなしはパントマイムに活かされ、彼の芸は各地で評判を呼んだ。

1914年、映画『成功争ひ』に初出演したチャーリーは、第2作『犬の為め』でチョビ髭をつけ、ダブダブのズボンに大きなドタ靴、山高帽子にステッキを持った浮浪者スタイルで登場。たちまち人気者となり、スターへの道を駆け上がってゆく。

1917年製作の『チャップリンの移民』は、貧しい母娘に博打で稼いだ金をそっと与える人情噺で、ドタバタ一辺倒だった喜劇映画に初めてドラマ性が加えられた画期的な作品だった。その新しい試みは、翌18年の『犬の生活』で確立され、以後、チャップリン喜劇の路線を決定させることとなった。

1919年、チャップリンはD.W.グリフィス、ダグラス・フェアバンクス、メーリー・ピックフォード夫妻と共にユナイテッド・アーティスツ社を創立し、同社の経営に参加。
誰からの束縛もなく自由に映画製作できる環境を得て、20世紀を代表する名作喜劇を次々と世に送り出した。

映画に言葉はいらない。
パントマイムこそ世界共通の言語だと主張し、サイレント映画にこだわってきたチャップリンだったが、1931年の『街の灯』ではついにサウンドトラックに音楽と効果音を収録した。花売り娘のテーマは既成曲「ラ・ヴィオレテラ」が使用されたが、その他の音楽はすべてチャップリン本人によって作曲されたものだった。

チャップリンは楽譜を書くことは出来なかった。しかし、ボードビル時代に覚えたヴァイオリンの腕は確かなもので、彼が映画の画像に合わせて弾くヴァイオリンのメロディを、アルフレッド・ニューマンやデヴィッド・ラクシンなどの音楽家がオーケストレーションし、演奏を指揮して録音した。
素直で飾り気がなく、それでいてすこぶる美しいメロディは、チャップリン映画のもう一つの魅力といえるだろう。
映画史上最も偉大な喜劇王は、稀代のメロディ・メイカーでもあった。

今宵も、心優しき放浪紳士チャーリーに乾杯!

≪ George Gershwin Bing Crosby ≫
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