ディーン・マーチン
Dean Martin (1917-1995)
ニューヨークの冬の夜景。
その上空に巨大な満月が現れる。
甘美な光で人間の心を狂わせる、そんな言い伝えもある妖しい満月の輝きが、或るイタリア人の一家の頭上にも降りそそいだ。
不覚にも婚約者の弟と恋に落ちてしまった中年女性の右往左往を描いた傑作コメディ、1987年製作の『月の輝く夜に』(原題:Moon Struck)のタイトルバックに流れたのは、ディーン・マーチンの陽気なラブ・ソング「That's Amore」だった。
月が大きなピザパイに見えたら、それが恋だよ。
世界中が輝いてワインに酔った気分になったら、それが恋だよ。
流れ星はパスタに見え、雲の上でダンスしている気分。
鐘が鳴り響き、心臓は陽気に踊り出す。
それこそ恋に落ちた証拠なのさ
ディーン・マーチン、1917年、オハイオ州ステューデンビル生まれ。
ハイ・スクール在学中は世界大恐慌の真っ只中。
まだイタリア人が正当な市民権を得ていなかった時代で、ディノは靴磨き、店員、製鋼所の工員などの職を探して稼いでいた。
ウェルター級のボクサーとしてリングに立ったこともあったが、その頃に密輸入酒の運搬に手を染めたことから、ギャンブルにも関わるようになってしまう。
後年、酒と博打と女で芸能界にゴシップを振りまいたディノの悪い癖は、すべてこの時期に形成されたといってもいいだろう。
ある夜、酒の余興で唄っていたところを、サミー・ワトキンスにスカウトされ、ディノは彼のバンドの専属歌手となった。
一歩間違えば、ただのチンピラで終わっていたかもしれないディノの人生に、転機が訪れたのだ。
1947年からは、ラジオ番組で知り合ったジュリー・ルイスとコンビを組んでラジオ、テレビ、映画に出演。キャピトル・レーベルに録音したレコードは次々とヒットを飛ばし、特にこの頃急速に普及したテレビからは毎日のように彼の映像が流され、人気は一気にアメリカ全土へと拡がっていった。
ジェリー・ルイスとのコンビを解散した後も、シナトラ率いるラット・パックの一員として『オーシャンと11人の仲間』や『7人の愚連隊』などの映画に出演。
『リオ・ブラボー』でリッキー・ネルソンと唄った「ライフルと愛馬」は、ディノの愛唱歌となった。
ディノを尊敬していたエルヴィス・プレスリーは、彼のレパートリーをしばしばステージでとりあげていたが、1954年にメンフィスのクラブで唄った「That's Amore」が観客に受けたのが、そのきっかけとなったらしい。
来日は何度も計画されたものの、ついに実現されなかった。
1987年に始まったフランク・シナトラのワールド・ツアーの際も、ディノは急病により降板し、急遽ライザ・ミネリが代打に立つことになった。
オフィシャルには腎臓病の悪化と報道されていたが、真相は飛行機嫌いが原因だった。ディノは過去に、飛行機事故で息子を亡くしている。
1987年製作の映画『月の輝く夜に』は、複雑に仕組まれたプロットが、終盤、収まるところに収まって、観客を幸福な気分に誘ってくれるロマンチック・コメディの逸品だ。
恋と音楽が大好きなイタリア人気質を表現するのに、ディノの「That's Amore」はベスト・マッチの選曲だった。
今宵も、ディノに乾杯!