soe006 drinks Salty Coffee 今日の1曲(11)

ジャズ倶楽部

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スタンダードソングとモダンジャズ/今日の1曲


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Everytime We Say Goodbye / Rod Stewart
It Had to Be You :The Great American Songbook (J-Records)

It Had to Be You :The Great American Songbook
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ロッド・スチュワートは英国出身のロック・シンガー。1945年生まれですから、もうすぐ還暦ですね。歳を取って想像力とエネルギーが欠乏、新しい音楽(ロック)を創るパワーが減退したかどうか知りませんが、近年はスタンダード・ソング集を出しています。
この「Everytime We Say Goodbye」が収録されたCDは2002年のリリースですが、好評だったようで、翌2003年には『As Time Goes By :The Great American Songbook Vol.2』、今年は第3弾『Stardust :The Great American Songbook Vol.3』をリリースしています。
いずれにせよ、若い人たちにスタンダード・ソングが浸透するのは歓迎すべきことで、こうなったら、ロッドさんには死ぬまで毎年出していただきたいものです。
「Everytime We Say Goodbye」は、コール・ポーター作詞作曲による1944年のナンバー。
さよならを言う時はいつも、少しだけ死ぬ気分になっちまう。さよならを言うたびにいつも、少しだけ心が震えちまう……という切ない内容の名曲です。
2004/11/12

In the Still of the Night / Catherina Valente
Caterina Valente in New York (Universal)

Caterina Valente in New York
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パリ生まれでドイツ在住のスペイン国籍、世界各国の言語を用いて多種多様なポピュラーソングを披露し、「唄う通訳」と呼ばれたカテリーナ・ヴァレンテが、1957年の米国コンサートの際にスタジオ録音したジャズのレコードです。
以前『Plenty Valente』のタイトルでLPがリリースされていましたが、ずっと廃盤のままでした。昨年(2003年)、タイトルを『Caterina Valente in New York』と改め、お洒落なジャケットデザインでようやくCD化されました。
芸能界に才色兼備と呼ばれる女性はゴマンといますが、この人ほど凄い人にはそう滅多にお目にかかれません。
なにしろフランス語、ドイツ語はもちろんのこと、このレコードでは(ジャズだから)英語、コンサートでイタリアに行けばイタリア語でカンツォーネ、スペインではスペイン語でフラメンコ、他にポルトガル語、ギリシャ語と各国語を自由に操り、なんと日本に来日したときは「花」や「お江戸日本橋」を日本語で唄っております(レコードもあり)。
そのとき(1957年)の来日コンサートをプロモートしたのが渡辺プロで、これをきっかけにザ・ピーナッツのドイツ公演も実現しました。余談ですが、ザ・ピーナッツの「情熱の花」(ベートーヴェン「エリーゼのために」のポップス化)のオリジナルは、カテリーナさんのドイツ語ヴァージョン(「Passion Flower」)であります。
日本にやって来て30年も経つのに、いまだに発音がおかしい某中国出身の日本ユニセフ大使(歌もヘタクソ)なんぞ、足元にも及びませぬ。
あまり多才過ぎると「なんでも屋」みたいに軽く見られがちですが、彼女の場合、どんなジャンルの歌にも精通していて、『Caterina Valente in New York』でも持ち前の明朗な声で軽快にスウィング。ちゃんとしたジャズを披露しています。
まるでブロードウェイ・ミュージカルの如きゴージャスな伴奏は、サイ・オリヴァー編曲指揮のオーケストラ。
メンバーには、チャーリー・シェイヴァース(tp)、J.J.ジョンソン(tb)、ハンク・ジョーンズ(p)など、錚々たる面々が参加しています。
2004/11/13

Volare / Dean Martin
Dino: The Essential Dean Martin (EMI)

Dino: The Essential Dean Martin
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1958年にドメニコ・モドゥーニョが唄い、ビルボードのヒット・チャートで5週連続第1位のヒットとなったカンツォーネ、「Nel Blu Di Pinto Di Blu」の英語版カバー・ヴァージョン。
作詞(イタリア語)はモドゥーニョ、作曲はフランシスコ・ミゲリアッチ。
英語歌詞は、「Stardust」の作詞でも有名なミッチェル・パリッシュによるものです。
ディーン・マーチン盤は、1958年8月のリリース。
この人の歌声はいつ聴いても、燦々と輝く太陽のようなイメージですね。
2004/11/14

Speak Low / The Modernaires
Here Come (Coral/Universal)

Here Come
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「Speak Low」は、1943年のミュージカル『One Touch of Venus ヴィーナスの接吻』のために、オグデン・ナッシュが作詞し、クルト・ワイルが作曲したラブソング。
「愛を語るときは小声で」とか、「時の流れは早く、恋は短い」とか、含蓄のある詩をしみじみと語りかけるように唄われると、哲学の小路を散歩したい気分になりますが、ザ・モダネアーズのヴァージョンは、華やかなジャケットからも察せられるように、コンガのリズムも軽快に適度に賑やかです。
ザ・モダネアーズは、グレン・ミラー楽団の専属だったこともある、女性1人男性4人のコーラス・グループ。
「Tuxedo Junction」や「Java Jive」などグループのレパートリーを眺めてみると、初期のマンハッタン・トランスファーが、このグループの再現を試みていたことがわかります。
2004/11/15

Mack the Knife / Ella Fitzgerald
Mack The Knife: Ella in Berlin (Verve)

Ella in Berlin
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ベルトルト・ブレヒト作詞、クルト・ワイル作曲によるミュージカル『三文オペラ』の挿入歌。
ジャックナイフを懐に忍ばせて、マックが町に戻ってきた。日曜の朝には舗道に死体が転がるぞという、いささか物騒な内容の歌。
1928年にドイツで初演され、アメリカで公演された1933年に、マーク・ブリッツスタインが英語の歌詞を書きました。
第二次世界大戦もあったということで、しばらくアメリカでは(敵国のミュージカルだから)上演されていませんでしたが、1952年に再演したところ好評で、1959年にはボビー・ダーリンのレコードが大ヒット。
モダンジャズでは、タイトルを「Moritat」とした1956年のソニー・ロリンズと、このエラ・フィッツジェラルドのレコードが代表的な名演とされていて、いまだに他の追従を許しません。
スキャット交えてメロディを自在にフェイクさせ、グイグイと盛り上げていく力業はエラの独擅場です。
1960年2月13日の実況録音。
個人的な話になりますが、長い間エラは不得手な歌手の一人で、特にこのレコードはジャズ喫茶で頻繁に聴かされ辟易していました。
どちらかと言うとメロディをストレートに唄い、隠し味に小技を利かせるタイプの歌手が好みだったので、パワーでゴリ押しするエラは苦手だったのです。
粋じゃねえなぁ、と耳を塞いでました。
ジャケット写真が、また怖いです。陽気な雌のゴリラが大口を開けて笑ってます。こんなのにかぶりつかれたら怖いだろうなぁ。
日曜日の朝には神保町の路地裏に、俺の生首が転がってるんじゃねえのか? そんな阿呆なことを夢想しつつ聴いてました。
最近、Verveのソングブック・シリーズを幾つか聴いてるうちにテクニカルかつデリケートなエラを発見し、ジャズ・ヴォーカリストとしてのあらゆる資質をオールマイティに備えていることを確信。改めてエラの偉大さを再認識した次第です。
声だけ聞いてると、特に若いころのエラは、可憐と形容しても差し支えないくらいチャーミングですね。
近頃ではサービス過剰なライヴ・レコーディングさえも(ジャケットは見ないようにして)心から愉しめるようになりました。甥っ子(小学三年生)は『Ella in London 』(Pablo-1974年4月録音)の「It Don't Mean a Thing」が大好きで、家に遊びに来るたびに聴かせろとせがんで困ります。
ヴォーカル・ジャズ界の女王みたいな呼び方をされてますが、イメージとしては、王様のほうがピッタリだなぁ。
本作はエラの代表作として必ず採りあげられる名盤ですが、しかしこのジャケット、もう少し洒落たもデザインだったら(せめて色使いだけでもどうにかならなかったものか)、彼女に対してのイメージも変わっていたかも知れません。
2004/11/16

Mam'selle / Pied Pipers
The Best of the Pied Pipers Featuring Jo Stafford (Collectors' Choice)

Best of the Pied Pipers Featuring Jo Stafford
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トミー・ドーシー楽団の専属だったコーラス・グループ、パイド・パイパーズの紅一点、ジョー・スタッフォードはカリフォルニア州生まれ。
スタートはカントリー&ウエスタン歌手だったこともあって、自然なおおらかさというか、ちょっとのんびりしたところが持ち味。
ジャズのビートをきかしたナンバーより、「Tennessee Waltz」や「Georgia on My Mind」などを、ゆったりと情感豊かに唄ったときに本領を発揮するタイプです。
2004/11/17

My Funny Valentine / Chet Baker
Chet Baker Sings (Pacific Jazz)

アルバムタイトル
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チェット・ベイカーは、1929年12月オクラホマ州エール生まれ。
高校時代からトランペットを吹くようになり、LAの大学で音楽を専攻。50〜52年は兵役につき、除隊後、ジェリー・マリガン・カルテット(ピアノレス)に加入。53年に初めてのリーダー録音を残し、ウエストコースト・ジャズの先鋒として活躍。
そのトランペット・テクニックは、西海岸に滞在中だったチャーリー・パーカーを驚嘆させ、チェットの名声はニューヨークにも伝わるようになりました。
「My Funny Valentine」は1954年2月の録音。
当時、トランペッターとしてマイルス・デイビスを凌ぐ人気だったチェットが、なぜ歌をレコーディングしようと思い立ったのか、いまだに謎とされています。
長い間、ジョー・パスのギターをオーバーダビングした疑似ステレオ盤しか流通していませんでしたが、80年代になってオリジナル・テープが発見され、本来の形でCD化されました。
余計なフェイクを加えずクールに(ちょっと隠微な香りを漂わせて)唄うチェットの声とシンプルなトランペット演奏は、有名なスタンダード・ナンバーを並べた選曲と相まって、いまでもダントツに人気のあるアルバムです。
アルバム・ジャケットを見れば一目瞭然なのですが、この頃のチェットは名実ともに美男子でした。ところが急速に、目はくぼみ、頬はこけ、深い皺が刻まれ、その美貌は衰えてしまいます。80年代の彼の容貌は、無惨としか言いようがありません。
理由はアート・ペッパーと同じ、麻薬です。
チェットは1959年に麻薬所持で刑務所に入り、60年代後期はほとんど引退同然の生活を送っています。1970年には、ついに麻薬売買のトラブルで前歯を抜かれ、これはトランペット吹きにとって死刑宣告に等しい凶事でしたが、73年夏にニューヨークで奇跡のカムバックを果たしました。
来日しない最後の大物ジャズメンと呼ばれていたチェットも、1986年に初来日。最高のコンディションでプレイするチェットに、会場のファンは驚喜しました。この公演でも「My Funny Valentine」は演奏され、実況盤もリリースされています。
1988年5月、滞在先のアムステルダムにて、ホテルの階上から転落し、死亡。享年58歳。
サイト内関連ページ≫standard songbook「My Funny Valentine」 2004/11/19

You and the Night and the Music / Julie London
Around Midnight (Liberty)

Around Midnight
オリジナル(廃盤)
Around Midnight
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洒落たジャケットの多いジュリー・ロンドンのリバティ盤のなかでも、屈指のナイス・デザイン(そしてナイス・バディ)。
伴奏はストリングス付きのオーケストラで、ジャジーな感触は希薄。どちらかといえばムード音楽のムード。「Misty」、「Black Coffee」、「But Not for Me」など、有名なスタンダード・ナンバーばかり12曲収録。1960年録音。
オリジナル・デザイン(紙ジャケット)の国内盤CDが2001年に限定盤リリースされましたが、すでに廃盤。
米国EMIから、1959年録音の『Jilie...at Home』とのカップリング盤がリリースされています。
2004/11/20

Pretend / Nat King Cole
Nat King Cole Sings the Standards (Capitol)

Nat King Cole Sings the Standards
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ナット・キング・コールは、1919年3月アラバマ州モンゴメリー生まれ。
牧師だった父親の都合で、1921年にシカゴに移り、12歳の時から教会の合唱団でオルガンを弾くようになりました。
兄の影響でジャズ・バンドに加わり、1939年にオスカー・ムーア(g)、ウエスリー・プリンス(b)とトリオを結成。
西海岸のクラブにピアノ・トリオとして出演していたとき、歌手のいるバンドを替わりに入れると言われて職を失いそうになり、自分で唄い始めたのがビッグ・スターへの最初の一歩です。
しばらくはピアノの弾き語りで唄っていましたが、1951年にトリオを解散し、歌に専念するようになりました。
「ナットの歌がヒットしたのは、(俺が)言葉をはっきり発音しろとアドバイスしたからだ」と言ったのは、キャブ・キャロウェイ。
成功した人物(特に芸人)について後付であれこれエピソードを加えるのは、洋の東西を問わない習慣なので真偽のほどは分かりませんが、ナットはこの教えを忠実に守り、黒人臭くない歌唱法を確立。黒人のレコードは黒人にしか売れないという、それまでの流れを大きく変え、人種を越えた人気を得るようになりました。
(一方で白人に媚びているとの批判の声もあり)
ポピュラー・シンガーとしてのナットのレコードは甘すぎて、個人的には40年代のトリオ演奏のほうが好きですが、ナット・コールが唄ったからこそヒットし、ヒットしたことによって今日まで残ることができたスタンダード・ソングは数多く、その功績は高く評価すべきだと思います。
「Pretend」は、1953年の録音。
2004/11/22

Nothing Will Be as It Was / Sarah Vaughan with Milton Nascimento
Brazilian Romance (Columbia)

Brazilian Romance
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1977年の『I Love Brazil』(pablo)で共演したミルトン・ナシメントとブラジリアン・オールスターズとの再会セッション。1987年の録音。
サラ・ヴォーンは70年代後半、Pabloレーベルに移籍したころから持ち前の声域と声量、アクロバティックな技巧をフルに発揮。矢継ぎ早にアルバムをリリースしています。そのほとんどが水準以上の出来で、まさにヴォーカル・ジャズの女王といった風情。皮膚ガンに冒され、1990年3月に亡くなりましたが、死ぬまでトップに位置していたジャズ・シンガーでした。
但し、この人は自分の技量に絶対の自信を持っていて、若いころから実に堂々とした唄いっぷり。もともと可愛らしさのかけらもないような声質でしたが、晩年は完全にオジサン化してしまい、好みの分かれるところです。
2004/11/23

2004/10/13〜10/24 ≪ 2004/11/12〜11/23 ≫ 2004/11/25〜11/27
soe006; E-mail address; soe006@hotmail.com