ストリングスの前奏に続いて、静かに唄い出すサミー・デイビスJr. リズムが刻まれると一転、急加速し、イッキに唄い上げるサミー・デイビスJr.
サミーのステージでは必ず披露されていた、レパートリー・ナンバーです。
Once in a Lifetime / Sammy Davis Jr.
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ストリングスの前奏に続いて、静かに唄い出すサミー・デイビスJr. リズムが刻まれると一転、急加速し、イッキに唄い上げるサミー・デイビスJr.
サミーのステージでは必ず披露されていた、レパートリー・ナンバーです。
紹介しているレコードは、1962年のスタジオ録音盤。
伴奏のアレンジメントと指揮は、マーティ・ペイチ。 サミーの魅力が堪能できる、粋な1枚。
サイト内関連ページ≫twelve storys「サミー・デイビスJr」
2004/07/20 |
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ポップス指向を強くしていたホリー・コールが、2003年にリリースした、原点回帰のスタンダード・ソング集。
アルバム・タイトル「Shade=木陰」が示すように、「Heat Wave」、「Something Cool」、「Midnight Sun」など、夏向きのナンバーを中心とした選曲です。 ビーチ・ボーイズの「God Only Knows」を収録しているあたりが、ホリー・コールらしいかも。
この人のCDは、なぜかオリジナル盤と日本盤のジャケット・デザインが違っているものが多いのですが、この『Shade』は同一デザイン。紛らわしくなくていいです。
但し、なかなかの好演だった「On the Sunny Side of the Street」は日本盤(東芝EMI)のみ収録。ついでにCCCDだったりするのがなんとも……
ホリー・コール公式Webサイト≫Holly Cole's Place in the Shade
2004/07/21 |
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
1937年に8人のコーラス・グループとして誕生したパイド・パイパースは、やがて女声1人と男声3人のメンバーが固定化し、1939年にトミー・ドーシー楽団の専属として、フランク・シナトラのバック・コーラスを務めるようになります。
当時のメンバーは、ビリー・ウィルソン、チャック・ローリィ、ジョン・ハドルストン、そして紅一点のジョー・スタッフォード。
「トローリー・ソング」は、ミュージカル映画『若草の頃 Meet Me in St.Louis』(1944)で披露された、ラルフ・ブレイン作詞、ヒュー・マーティン作曲のナンバー。
映画では当時22歳のジュディ・ガーランドが溌剌と唄っていました。
2004/07/22
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ジュリー・ロンドンは、1926年9月カリフォルニア州サンタローザ生まれ。両親ともにボードビリアンで、幼いころから舞台に立っていました。ハイスクール卒業後いったんはデパートに就職しますが、映画会社にスカウトされて芸能界入りします。デビュー作は1944年製作のジャングル活劇『ナボンガ Nabonga』。ゴリラに襲われる半裸のグラマー美女の役でした。
先日このコーナーでもご紹介した「Route 66」の作曲者ボビー・トゥループに薦められて、1954年にベツレヘムに4曲を録音した後、リバティー・レーベルと専属契約し、33枚のアルバムをリリースしました。 (1959年に二人は結婚しています)
1955年ニューヨーク録音のこのレコードでは、ジュリーは全曲ギター(アル・ヴィオラ)だけの伴奏で、しっとりとした情感を醸し出しています。彼女のハスキーで落ち着きのある声は、スモーキー・ヴォイスと呼ばれていました。
「I Lost My Sugar in Salt Lake City」は、ジョニー・レンジ(作詞)とレオン・レーン(作曲)による1942年のナンバーで、1943年に製作されたオール黒人キャストのミュージカル映画『Stormy Weather』に挿入された曲です。
(別題「Salt Lake City Blues」)
現在、ジュリー・ロンドンのリバティ録音盤は、キャピトル・レーベルより2in1のCDでリリースされていて、『Lonely Girl』は、1957年録音の『Make Love to Me』とのカップリング(24曲収録)でお買い得です。
ジュリー・ロンドンの最大のヒット曲は、映画『女はそれを我慢できない』(1956年)のなかで唄った「Cry Me a River」。
ほかに「この世の果て The End of the World」、「You'd be So Nice to Come Home to」などをヒットさせています。 惜しくも2000年10月に他界、享年74歳でした。
2004/07/23
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ベニー・カーター(as)、フィル・ウッズ(as)、コールマン・ホーキンス(ts)、チャールズ・ラウズ(ts)のサックス4管をフロントにしたノリのよい演奏。
サイドは、ジョン・コリンズ(g)、ディック・カッツ(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ジョー・ジョーンズ(ds)。 1961年11月、ニューヨーク録音。
ベニー・カーターは、1907年8月8日ニューヨーク・シティ生まれ。
音楽一家に育ち、若い頃から様々な楽器を学びました。 一般にアルト・サックス奏者として知られていますが、クラリネットやトランペットも演奏します。 寺島靖国に「50歳を過ぎなければ良さが分からない」と評された、地味なれど滋味なるジャズ・プレイヤー。
俺はまだ50歳前だけど、「しみじみ良いなぁ」と思いますよ、マジで。
この寺島ってオッサンは、「自分だけが分かってる」って風にものを書くのが鼻に付くしムカつくけど、嗜好がダブってるから親近感もあるんだよな〜。 もう10年以上前の話だけど……神田神保町「響」のカウンター席で隣合わせになったことがあって、野郎がワケ分からんこと喋り始めたときはぶん殴ってやろうかと思ったこともあったけど……たかが音楽如きのことで暴力沙汰を起こしかねないほど、あの頃の俺は若かった(莫迦だった)のだなぁ……などと、つい昔話をしてしまうような、そんな懐かしさがベニー・カーターの演奏にはありますね。
「コットン・テイル Cotton Tail」は、デューク・エリントンが楽団のスター・プレイヤーだったベン・ウェブスターをフィーチャーするために作った、1940年のナンバー。
のちにジョー・ヘンドリックスが歌詞を付けてヴォーカライズしています。
2004/07/24
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
敗戦後、進駐軍によって運び込まれたダンスバンド・ミュージックは、洋楽ファンのみならず、普段は浪花節を聴いていたような人たちまで巻き込んで、たいへんなブームとなりました。
なかでも一番人気だったのが、サックス・セクションをクラリネットでリードする独特のアレンジが心地よいグレン・ミラー楽団です。 「真珠の首飾り String of Pearls」は、そのミラー・サウンドの代表曲のひとつで、戦後日本のミュージック・シーンに多大な影響を与えています。
ミラー本人は、1944年12月、ヨーロッパ慰問旅行中にドーバー海峡上空で消息を絶ち、帰らぬ人となっていましたが、彼の死後もグレン・ミラー楽団は存続し、デジタル録音された新しいCDもリリースされています。ガチガチにアレンジを施した演奏なので、オリジナルのアレンジ譜さえ使用していれば、誰がバンドリーダーを務めていても再現できるのがミラー・サウンドの特徴といえるかも知れません。
今回は、ミラー自身がリーダーだった、1938-1942年の演奏を集大成した4枚組CDセット(98曲収録)を紹介しておきます。
当時の録音をコンプリートに収めた13枚組のセット(現在廃盤)もありましたが、オリジナル録音のグレン・ミラーは、この4枚組さえあれば充分でしょう。
日本でのグレン・ミラー・フィーヴァーに更に油を注いだのが、1954年ユニバーサル製作の映画『グレン・ミラー物語 The Glenn Miller Story』です。
ミラー役は、容貌もそっくりなジェームズ・スチュワート(トロンボーン演奏はジョー・ユークルの吹替え)。映画のサウンドトラック盤(RCA)は、ヘンリー・マンシーニによるアレンジでした。 愛妻ヘレン(ジューン・アリスン)とのメロドラマを主軸にしたストーリーに、彼のヒット・ナンバーを絡めて、ミラーの青春時代から事故死の訃報が届くまでを巧みに描いています。 これが日本でも大ヒットし、スウィング・バンドのダンスホールが全国各地に作られました(映画が流行をリードしていた、古き良き時代のエピソードですね)。
グレン・ミラー本人の姿は、『銀嶺セレナーデ』(1941)と『Orchestra Wives』(1942)の2本の映画で見ることができます。
2004/07/25
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ハリー・アレンは、1966年10月12日、ワシントンD.C生まれ。いま最も注目されているテナー・サックス奏者です。
時代の流れに反して、ポール・ゴンザルヴェスやベン・ウェブスター、コールマン・ホーキンスといったスウィング寄りのスタイルに固執しているところが潔いというか好感触で、近年、矢継ぎ早にCDがリリースされています。
でも、ほとんどが日本企画盤なので、この人気は日本だけでのことかも知れません。同じく古風なスタイルのジョン・ピザレリとの共演も多いですね。 個人的な意見……達者なのは認めるけど、この人の演奏って色気(艶)がないんだよな。
アルバム『Dreamer』は、2001年2月にレコーディングされた日本企画盤。
全編ボサ・ノヴァ調で、「いそしぎ The Shadow of Your Smile」や「Dindi」、「Triste」などの佳曲が収録されています。 「チェニジアの夜 A Night in Tunisia」までボサ・ノヴァ調で演奏しているのが面白いかも。
「Out of this World」は、「虹の彼方に Over the Rainbow」でお馴染みのハロルド・アーレンの作曲(歌詞はジョニー・マーサー)。
ケビン・レトーのヴォーカルをフィーチャーした演奏です。
2004/07/26
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
モーリー・ジョンソンのメジャー進出第1弾アルバム。(以前、カナダのマイナー・レーベルに1枚録音していて、正確にはセカンド・アルバムとなるらしい)
モーリーは80年代からカナダで唄っていた歌手で、10年以上のキャリアがあるそうですが、日本では昨年の夏に本作がリリースされたばかりで、申し訳ないが私もよく知りません。 ジャケット写真から推測すると、30代後半から40代の(年齢不詳っぽい容貌の)女性です。
ハスキーな声質といい、ちょっと甘えたようなアクセントの付け方といい、喉が潰れる直前のビリー・ホリデイに似てなくもない。
聴き込むと案外ハマりそうな、そんな歌手です。
これは最近の傾向かも知れませんが、日本盤、米盤、英盤と全部ジャケット・デザインが異なっているので、購入される際には注意が必要です。(掲載しているジャケットはNaradaレーベルのものですが、Blue Noteレーベルからも異なるジャケット・デザインでリリースされています)
2004/07/27
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
ボロディンの歌劇『イーゴリ公』のなかの1曲「ダッタン人の踊り」に、ボブ・ライトとチェット・フォレストが歌詞をつけて編曲し、1953年のミュージカル『キスメット』で使用したナンバーです。
ミュージカルの評判をうけて、その年(1953年)の10月にトニー・ベネットがレコーディングし、ヒットさせました。伴奏の編曲・指揮は、「夏の日の恋」などでお馴染みのパーシー・フェイス。
初出は10インチLP『Alone At Last』(Columbia−未CD化)ですが、ベネットの初期のヒット・ナンバーでライヴでもレパートリーとしていた曲なので、彼のベスト盤にはほとんど収録されています。
2004/07/28
|
Amazonでお買物できます。廃盤/在庫切れの場合もあります。ご了承ください。 |
マリアン・モンゴメリーは、1960年代に活躍したミシシッピー生まれの白人シンガーです。
レコードは10枚くらい録音していますが、いまではすっかり忘れられたマイナーな存在で、1965年に録音されたこのアルバムも、ヴォーカル・ジャズの発掘に熱心な日本でのみCDがリリースされました。トミー・ドーシー楽団のトランペッター兼アレンジャーだったサイ・オリバーが伴奏の指揮を務めています。 マリアンの声は低めで、大人の雰囲気がムンムン。 サイ・オリバーの編曲と相まって、なかなか聴き応えのあるアルバムです。
「Me and My Shadow」は、ビリー・ロス、アル・ジョルスンが作曲し、デイヴ・ドライヤーが作詞したナンバー。
前に紹介したジュリー・ロンドンも『Easy Does It』というアルバムに録音していますが、マリアンも彼女に似た声質の歌手です。
2004/07/29
|
ディスク・ユニオンなどの輸入Jazz専門店でお求めください。 |
ナンシー・マラーノとアコーディオンのエディ・モンティロのデュオによる、ボサ・ノヴァ集。
『A Perfect Match=完璧調和』のアルバム・タイトルどおり、一心同体の快演。夏向きの1枚。
2004/07/30
|