マーサ三宅の長女、大橋美加が、高内春彦のギターをバックに唄ったペギー・リーのトリビュート・アルバム。
2003年1月、東京録音。
Johnny Guitar / 大橋美加
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マーサ三宅の長女、大橋美加が、高内春彦のギターをバックに唄ったペギー・リーのトリビュート・アルバム。
2003年1月、東京録音。 「ジャニー・ギター Johnny Guitar」は、1954年製作の西部劇『大砂塵 Johnny Guitar』の主題歌として、ヴィクター・ヤングが作曲、ペギー・リーが作詞して唄い大ヒットしたナンバー。
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キム・カレスティとマリオン・コウィングス夫妻によるヴォーカル・デュオ。バッキングは、ゲイリー・バーツ(as)、ケニー・バロン(p)、エディ・ゴメス(b)、アル・フォスター(ds)。
1991年6月、ニューヨーク録音。 「Thou Swell」は、1927年のミュージカル『アーサー王宮廷のヤンキー A Connecticut Yankee』のために作られた、リチャード・ロジャース(作曲)、ロレンツ・ハート(作詞)のナンバー。ミュージカルは大ヒットし何度も再演されたことから二人の代表作となり、1948年にMGMが製作したロジャース&ハートの伝記映画『ワーズ・アンド・ミュージック Words and Music(日本未公開)』でも再現場面でジューン・アリスンが唄っていました。この場面は『ザッツ・エンタテインメント』のなかでも観ることができます。ちなみに映画では、ロレンツ・ハートをミッキー・ルーニーが、リチャード・ロジャースをトム・ドレイクが演じています。
≫≫≫ キム・カレスティ公式ウェブサイト
2004/10/03 |
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ドリス・デイは、1924年4月オハイオ州シンシナティ生まれ。
父親はドイツ出身の音楽教師でしたが、彼女が8歳のとき両親は離婚しています。 18歳で子どもを産んで離婚して、レス・ブラウン楽団専属時代に「センチメンタル・ジャーニー Sentimental Journey」をヒットさせたものの、その後は鳴かず飛ばずで、また再婚して離婚して。若いころはけっこう苦労しているんですね。 全米ヒットの「センチメンタル・ジャーニー」があるのに、改めてハリウッド・スタジオの新人オーデションを受けたりしている。まだ20代前半なのに、幼い子供を抱えて新人オーデションに臨むときの気持ち、想像するだけでジ〜ンとしてきます。 ここに紹介しているCDは、1944年にミリオン・ヒットとなったレス・ブラウン楽団の「センチメンタル・ジャーニー」から、「It's Magic イッツ・マジック」、「My Romance マイ・ロマンス」、「Again アゲイン」など、Columbiaレーベルに録音したヒット・ナンバー48曲を編纂したお徳用2CDセット。
テレビ番組『ドリス・デイ・ショー』(1968〜1973)やヒッチコック映画『知りすぎていた男』のイメージから良妻賢母っぽい印象で語られることが多いドリスの、ジャズ・シンガーとしての魅力がたっぷり味わえます。 ドリス・デイは今年(2004年)、ジョージ・ブッシュ大統領よりメダル・オブ・フリーダム(Medal of Freedom)を授与されました。この賞は日本の国民栄誉賞みたいなもので、ボブ・ホープ、グレゴリー・ペック、フランク・シナトラ、ジェームズ・スチュアート等も過去に受賞しています。
「ケ・セラ・セラ Que Sera Sera(Whatever Will Be,Will Be)」は、先に書いた1956年製作のアルフレッド・ヒッチコック映画『知りすぎていた男 The Man Who Knew Too Much』のために書き下ろされた挿入歌で、ジェイ・リビングストンとレイ・エバンスの作。
1956年度アカデミー歌曲賞を受賞しています。
2004/10/04
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カナダ出身のヴォーカリスト、モーリー・ジョンソンのメジャー進出第1弾アルバム。
「Haunted」は、ベース奏者マイク・ダウネスのオリジナル・ナンバーで、モーリーのうらぶれた声にコリーン・アレンのテナー・サックスが気怠く絡みつくと、現代によみがえったビリー・ホリデイの趣(おもむき)があります。モーリーの根っこは、どうやらブルースにあるみたい。 メンバーは他に、アンドリュー・クレイグ(key)、マーク・マクレーン(ds)。 ジャズに、紫煙ただよう薄暗い酒場を連想される方に向いています。
2004/10/05
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ジョージア州出身のリズ・ライトが、2003年にVerveレーベルよりリリースしたデビュー・アルバム。
リズはこの録音の前に、ジョー・サンプルの『The Pecan Tree』に2曲参加していました。 声質は低めでニーナ・シモンに似てなくもないけど、まだ若い(録音当時20歳だったそうです)のでゴスペル系の歌手としては線が細く聞こえます。発展途上につき、これからの成長を見守りたいといったところでしょうか。 フュージョン系のライトな伴奏と合わせて、ドライブ中に聞き流すのにはもってこいの、軽い仕上がりになっています。 「アフロ・ブルー Afro Blue」はモンゴ・サンタマリアの代表曲。
2004/10/07
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ジャマイカ出身のピアニスト、モンティ・アレキサンダーが西ドイツのMPSレーベルに録音したヴォーカル・アルバム。
モンティは、1971年のライヴ盤(『We've Only Just Begun』)でも1曲歌を披露していましたが、このアルバムでは自身のピアノ、ベース、ギター、コンガをバックに、スタンダード・ソング10曲を歌手として唄っており、その歌唱スタイルは、彼が憧れていたオスカー・ピーターソンに似ていなくもないです。
1977年9月録音。 「For Sentimental Reason」は、デック・ワトソンが詩を書き、ウィリアム・ベストが作曲した1945年のナンバー。
2004/10/08
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ハリー・アレンによる、くつろぎのウィズ・ストリングス・ボサノヴァ集。
この人は何を演ってもそれなりに巧いので、安心して聴けます。 「Bye Bye Blackbird」ではケビン・レトーのヴォーカルがフィーチャーされています。 2001年の録音。日本企画盤。 「Bye Bye Blackbird」は、モート・ディクソン作詞、レイ・ヘンダーソン作曲による1926年のヒット・ソング。
サイト内関連ページ≫Standards & Jazz「Bye Bye Blackbird」
2004/10/09 |
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1972年に眼病を患って一時引退していたエラ・フィッツジェラルドが、旧友ノーマン・グランツのPabloレーベルと共に復活。全盛期に勝るとも劣らぬ名唱を、次々と同レーベルに残しました。
そのなかでも白眉と称されているのがジョー・パス(g)とのデュオ。俗に「エラ・パス」と呼ばれているシリーズです。 『Fitzgerald and Pass...Again』は、1973年にリリースされた『Take Love Easy』の好評により、1976年に企画された「エラ・パス」の第2弾。前作にも増して滋味深い琥珀色の世界を醸し出しています。 マシンガンの如き熱きスキャットを繰り出すエラは、また一方でバラッドの名人でもありました。
エラは歌詞をとても大切にし、曲が本来持っている魅力を巧みに引き出します。それはVerveに残した一連のソングブック・シリーズで、ほとんどの曲をバース(メインのメロディに入る前に唄われる前口上のようなもの)の部分から丁寧に唄っていたことでも証明されます。きめ細かくコントロールされた感情表現は、他の歌手の追従を許しません。 「Rain」は歌詞なしのスキャットで唄われる2分半ほどの短い曲ですが、奇をてらわずさりげなく素直に唄い、これがもう実に巧い。名人芸の境地であります。 最後に、エラのレコード(CD)を聴くときのお約束。
決してジャケットの写真を見ないこと。声だけに集中すること。 『In Berlin』(Verve-1960年)の白熱ライヴ盤はともかくとして、本「エラ・パス」シリーズや『Like Someone in Love』(Verve-1957年)といった情感豊かなアルバムで唄われるバラッドに、あのばかでかい体格とゴツい顔はミスマッチです。 エラの声質は可憐でとてもチャーミングです。これらのアルバムに収められた歌を先入観なしで味わうために、ジャケットは見ないで聴いてください。
2004/10/10
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圧倒的な気迫の演奏で名高い『The Genius of Bud Powell』(Verve-1950年)とは対照的に、叙情的なくつろぎさえ感じさせる、もう一枚のVerve盤。
バドは精神病院から退院した後、矢継ぎ早に快演・名演をレコーディングします。その輝かしき再出発の門出となった、1949年5月と1950年1月のトリオ演奏を収録。 「Tempus Fuguit」はバドのオリジナル曲で、共演はレイ・ブラウン(b)とマックス・ローチ(ds)。49年5月の録音。 左手で刻まれる強烈なリズムと坂道を転がるような右手のメロディが一体となった、これぞパウエル・タッチと呼びたくなる快演。 バド・パウエルは1924年9月ニューヨーク生まれ。モダン・ピアニストの最高峰として、永遠にその名を残すであろうジャズ・ジャイアントの一人。彼の影響を直接的間接的に受けていないジャズ・ピアニストは存在しません。逆説的にいうなら、バドの影響を受けていないピアニストは、ジャズのピアニストではない、ということになります。
栄養失調から肺結核に罹り、1966年7月に死去。 後年、バドをモデルとした、デクスター・ゴードン主演のフランス映画『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)が製作されました。
2004/10/11
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ペギー・リーは、1920年5月ノースダコタ州ジェイムズタウン生まれ。
1941年にシカゴのホテルで唄っていたところをベニー・グッドマンに見いだされ、ヘレン・フォレストの後任として同楽団の専属歌手に迎えられます。 1945年、グッドマン楽団のギタリスト、デイヴ・バーバーとの結婚を機会に独立、Capitolレーベルと専属契約。出産・育児でしばらく休んだ後、1952年にDeccaレーベルに移籍しますが、1956年には再びCapitolに戻っています。キャピトルを離れたあとも2002年に亡くなるまで現役で活躍し時折アルバムを発表。しかし、もともとささやくようにじっくり唄うタイプの歌手だったので、(声が衰えた)晩年の録音にはあまり推薦できるものがありません。 したがってペギー・リーの注目すべきレコードは、グッドマン楽団時代、第1期キャピトル時代、デッカ時代、第2期キャピトル時代の4つのカテゴリーに区分できます。 デッカ時代には「ブラック・コーヒー Black Coffee」、「ジャニー・ギター Johnny Guitar」、「ラブ・レターズ Love Letters」、ディズニー映画『わんわん物語』からの「ラ・ラ・ルー La-La-Lu」、「サン・スーシー Sans Souci」などのヒット曲が並んでおり、それらと比較すると1955〜56年録音の『Miss Wonderful』は地味な存在ですが、バラッドをメインにじっくり味わい深く唄うペギー・リーの特徴が遺憾なく発揮された佳品です。
アルバムタイトルのミス・ワンダフルは彼女のニックネームで、「Mr. Wonderful」はサミー・デイビスJr.のニックネーム。 サイ・オリバーの編曲・指揮によるジミー・ランスフォード楽団の伴奏。
2004/10/12
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