soe006 drinks Salty Coffee 今日の1曲(10)

ジャズ倶楽部

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スタンダードソングとモダンジャズ/今日の1曲


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Epistrophy / Thelonious Monk
Monks Music (Prestige)

Monks Music
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オールスター・コンボの快演が収められた1956年の『Brilliant Corners』と並ぶ、セロニアス・モンクの代表作。
セロニアス・モンク(p)、レイ・コープランド(tp)、ジジ・グライス(as)、コールマン・ホーキンス(ts)、ジョン・コルトレーン(ts)、ウイルバー・ウエア(b)、アート・ブレイキー(ds)。
1957年6月27日録音。歴史に残る名盤。
クリフォード・ブラウンが急死し、チャールス・ミンガスが超問題作『直立猿人 Pithecanthropus Erectus』を発表、マイルス・デイビスが消化試合のマラソン・セッション4部作+『'Round About Midnight』を録音した1956年。
ハロルド・ランドに代わってクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットに加わったソニー・ロリンズが、『Tenor Madness』、『Saxophone Colossus』、『Plays for Bird』、『Sonny Boy』、『Tour de Force』、『Sonny Rollins Vol.1』と6枚のリーダー作をレコーディングした1956年。
麻薬ボケで精神病院に入院していたアート・ペッパーが奇跡の復活を遂げ、JazzWest(『The Return of Art Pepper』)、Tampa(『Art Pepper Quartet』と『Marty Paich Quartet』)、Intro(『Modern Art』)などのマイナー・レーベルに生涯の代表作を録音した1956年。
モダン・ヴォーカルの旗手、アニタ・オディが、こちらも薬漬けの生活から脱出し生涯最高の『Anita』、『Anita Sings The Most 』『Pick Yourself Up with Anita O'Day』をVerveレーベルに録音した1956年。
ビ・バップが全面開花し、それらの発展形式が様々なシーンで試みられていた1956年。
そんな激動の1956年の翌年に、このアルバムは録音されました。
モダン・サウンドを追求する豪腕バッパーたちがセロニアス・モンクの元に参集し持ち前のパワーを全開させた、文句なしのモンクス・ミュージック。大傑作です。
セロニアス・モンクは、1920年10月ノースカロライナ州ロッキー・マウント生まれ。
4歳の時に家族とともにニューヨークに移り、11歳からピアノを習い、17歳で福音伝道隊のピアニストとしてツアーに参加。
40年ごろからクラブ『ミントンハウス』のセッションでディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーらと共にモダン・ミュージックを開拓、ビ・バップ旋風の火付け役となります。
しかしモンクの音楽は、それまでの他の音楽とは相容れないほど独特だったため商業化(レコード化)されず、彼の名前が世間に知られるようになったのは50年代、Riversideレーベルからレコードがリリースされるようになってからでした。
後年くり返し録音される彼のオリジナル・ナンバー(「'Round About Midnight」や「Straight No Chaser」など)は、すでに40年代に作曲されていて、それらは当時は超マイナーレーベルだったBlueNote(1947〜51年)に録音されています。
設立当初はブギウギなどのトラディショナルなジャズをリリースしていたBlueNoteでしたが、1946年9月から翌47年9月まで一切のレコーディングを休んで、モダン・サウンドの研究をしています。オーナーのアルフレッド・ライオンは、二人のモダン・ピアニスト、セロニアス・モンクとバド・パウエルをアイク・ケベックに紹介されます。ライオンは後に二人の演奏を録音しレコードをリリースしますが、先にレコーディングを開始したのはモンクの方でした。
(モンクの録音は47年10月11日〜、バドは51年5月1日〜)
ライオンは、モンクを優先した理由を、「バドよりも分かり易い演奏だったから」と話しています。
事あるごとに難解というレッテルを貼り付けられるモンクの音楽なので、このエピソードはちょっと面白いですね。
2004/10/13

Blue Star / Benny Carter
Further Definitions (Impulse!)

Further Definitions
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ベニー・カーター(as)、フィル・ウッズ(as)、コールマン・ホーキンス(ts)、チャールズ・ラウズ(ts)のサックス4管をフロントに、ジョン・コリンズ(g)、ディック・カッツ(p)、ジミー・ギャリソン(b)、ジョー・ジョーンズ(ds)がサイドを務めた、1961年11月、ニューヨーク録音。
ベニー・カーターの演奏には、いつも前向きな明るさがあります。スロウなマイナー・バラッドを演っても、グズグズに泣き崩れてしまうような醜態をみせることは決してありません。
それでいてフュージョン系の脳天気サックスと一線を画しているのは、根底に強いブルース・フィーリングがあるからでしょう。
ともすればムード音楽に流されてしまいそうなこの大味なレコードを、辛うじてジャズに引き留めている要因でもあります。
2004/10/15

Sentimental Journey / Julie London
Sophisticated Lady (Capitol/Emi Gold)

at Home
オリジナル盤ジャケット

Sophisticated Lady
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このコーナーではこれまでペギー・リー、ドリス・デイ、ジョー・スタッフォード、ローズマリー・クルーニー、リー・ワイリー、ダイナ・ショアなどの白人(美形)歌手を取り上げてきましたが、そのなかでも最もポピュラー寄りなのがジュリー・ロンドンでしょう。
まずスウィング感が希薄。次にブルース・フィーリングが希薄。ジャズ・シンガーとしての資質は彼女にはありません。巧いとか下手とかではなく、雰囲気で聴かせるタイプ。彼女のヒット曲「Cry Me A River」や「この世の果て The End of World」は、その特質が遺憾なく発揮された成功例です。
ついでに言わせてもらうと、声質が絶対的に可愛くない。感情を抑制したドラ声であります。たとえば(声だけ聴けば)、エラ・フィッツジェラルドのほうが100倍可愛いと思う。……顔とスタイルは雲泥の差がありますが。
そんな彼女のレコードのなかで、例外的にジャズを感じさせる1枚が1960年の『Julie ...at home』(Capitol)です。
ジュリー・ロンドンが自宅のリビングにミュージシャンを招待して録音したもので、プライベートな雰囲気が横溢する、くつろぎの1枚になっています。
この日、ロンドン邸に招かれ(ついでに仕事もさせられた)ミュージシャンは、アル・ヴィオラ(g)、エミール・リチャードソン(vib)、ジミー・ロウルズ(p)、ドン・バグリー(b)、アール・パーマー(ds)、ボブ・フラナガン(tb)。
彼女のレコード・ジャケットは、その美貌を最大限に活かした(半分裸みたいな)ドレスやネグリジェ姿のものが多いのですが、お友達が遊びに来ていたからでしょうか、『...at home』はご覧のように、カジュアルな赤いセーター姿で暖炉の傍に寝そべっております。
(ガッカリですよね?)
残念ながらCDは現在(2004年10月)廃盤となっているので、代わりに「センチメンタル・ジャーニー Sentimental Journey」が収録されたコンピレーション盤(お徳用3枚組CDセット)を紹介しておきます。こちらのジャケットはいつもの格好してますね。
2004/10/16

Moon Dance / Ann-Kristin Hedmark
It Could Happen to Me (TMP)

It Could Happen to Me ディスク・ユニオンなどの輸入Jazz専門店でお求めください。
アン=クリスティン・ヘドマーク。
名前から察せられるとおり、北欧系(スウェーデン)の女性シンガーです。
……以上。
いや、すみません、ほんとに、これ以上のことは分かりません。
一応、レコーディング・データを付記します。
(例によって例の如く、向こうの言語に疎いので横文字のままでご勘弁ください……このタイプの名前で読めるのは、ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン、ただ一人。自慢にもならない)
Bosse Broberg(tp)、Gunnar Bergsten(bs)、Berndt Egerbladh(p)、Peter Nilsson(b)、Ulf Flink(ds)。2002年5月録音。
バリトン・サックスの人がクレジットされていますが、今日の一曲「Moon Dance」には参加していません。間奏部に半端なハイノート・トランペットのソロが入ります。
バックのピアノ・トリオとトランペットは可もなく不可もなく、取り立てて何かを言うほどのものもない普通の歌伴演奏ですが、ヘドマークのヴォーカルは(このCDを聴く限り)ポピュラー畑(演歌系)の歌唱法で、サビでグッと力が入るところなどに越路吹雪を連想してしまいました。
2004/10/17

Begin the Beguine / Art Pepper
The Art of Pepper (Omega/Blue Note)

The Art of Pepper
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アート・ペッパーは、1925年9月1日カリフォルニア州ガーデナ生まれ。9歳からクラリネット、13歳からアルト・サックスを始め、1943年11月よりスタン・ケントン楽団に参加。しかし時は第2次世界大戦の真っ直中。入団3ヶ月で兵役に招集されてしまいます。
除隊後、しばらくフリーで演奏していましたが、1947年にケントン楽団に復帰し、52年まで在団。
1952年には初のリーダー・レコーディングを行い、ショーティ・ロジャース(tp)と双頭コンボを組み、西海岸サウンドのモダン化に貢献します。
ところが、注目を集め始めた1953年に、ペッパーはピタリと演奏活動をやめてしまいます。
麻薬問題で心身共にボロボロになり、刑務所だか精神病院だか忘れましたが、そこから復帰するのが、1956年。
アート・ペッパー、30歳。破竹の勢いの大躍進が始まります。
この復活の年にペッパーは、LP13枚分のレコーディングに参加。
翌1957年も11枚分のレコーディングに参加と、気が狂ったように録音しまくります。
そのいずれもがペッパー節の連打、快演続出の名演揃い。
入門書などに紹介されているペッパーの代表作推薦盤は、その大半がこの2年間に集中して録音されたものです。
『The Art of Pepper』も、そんな天才による奇跡を記録した1枚。
アート・ペッパー(as)、カール・パーキンス(p)、ベン・タッカー(b)、チャック・フローレス(ds)。1957年4月1日、カリフォルニア録音。
このCDは現在、Aladdinレコーディング・シリーズとして、BlueNoteレーベルより3枚リリースされているものの第3集。
第1集は、56年8月6日(JazzWest)と57年1月3日(Intro)のセッションを、第2集は、56年12月28日(Intro)と57年1月14日(Intro)それに4月1日(Omega)のセッションを、それぞれ『Aladdin Recording Vol.1 / The Return of Art Pepper』と『Aladdin Recording Vol.2 / Modern Art』のタイトルにまとめて編纂されています。
「Blues In」で始まり「Blues Out」で終わる『Modern Art』には、LPオリジナルのほかに、録音日付から察せられるとおり、このCD(『The Art of Pepper』)の別テイクが3曲収録されています。
ちなみに『The Return of Art Pepper』の57年1月3日、Introのセッションは、ジョー・モレロのリーダーLP『Collections』から、ペッパーが演奏に参加している5曲をピックアップして併録したものです。
と、まあ、以上のような蘊蓄を書き並べるといっぱしのジャズ通みたいに思われるかも知れませんが、なんてことはない、こんなものは資料さえあれば誰だって書けます。
ジャズの知識なんて、所詮そんなものです。
アート・ペッパーの「Begin the Beguine」は、そのような益体(やくたい)もない知識なんぞとは一切関係なしに、聴いてるだけで今宵もウキウキ愉しめてしまうのだから、それはそれで良いのだ。 ……長くなってしまったので、最後は強引に椎名誠風にまとめてしまいました。
2004/10/18

I Miss You So / Diana Krall
Love Scenes (Impulse!)

Love Scenes
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流行りものには興味がない。
というワケではありませんが、初期の、女性版ナット・キング・コール・トリオと呼ばれて珍しがられていた頃はともかく、近年の、野球場で国歌を唄っている人気歌手ダイアナには、いっこうに食指が動きません。
そもそも300万枚もCDが売れてしまう人は、ジャズ・シンガーと名乗っちゃいけないんじゃないのか? < 偏見。
ダイアナ・クラールは、カナダのブリテッシュ・コロンビア生まれ。15歳から町のレストランで演奏するようになり、バークリー音楽院で勉強した後、いったんカナダに戻り、そこでレイ・ブラウンやジェフ・ハミルトンにすすめられてロサンゼルスへ。
ジミー・ロウルズに師事し、この頃から歌も唄うようになります。
巧いのは認めています。
すすんで聴こうとは思わないですが、聴けばけっこう感心してしまいます。
同じくカナダ出身のオスカー・ピーターソンがナット・キング・コールをアイドルに弾き語りをやっていたように、ダイアナもナット・コールの影響が強く、それはピアノ演奏の方により濃く現れています。ピアノの腕前は、おそらく若手のなかではナンバー・ワンでしょう。ピアノだけに専念してれば、CDは300万枚も売れなかっただろうけど、女性版オスカー・ピーターソンの異名を取っていたかも知れません。
残念なことに、彼女の声には色気ってものがぜんぜん感じられない。これが致命的。
だから、普段は唄のところは聴かなかったふりして、ピアノ演奏だけを選り分けて聴いてます。
メンドクサイのでピアノだけのCDを出してください。
きっと熱烈なファンになりますから。
2004/10/19

Monk's Dream / Thelonious Monk Quartet
Monk's Dream (Columbia)

Monk's Dream
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50年代半ばになってようやくレコーディングの機会を掴み、あるときは錚々たるミュージシャンを率いてのコンビネーション・バンド、あるときはトリオ、またあるときはソロ・ピアノと、変幻自在、縦横無尽な演奏を記録したリバーサイド時代を経て、セロニアス・モンクはコロンビアに移ります。
その移籍第1弾が『Monk's Dream』(1962年10月/11月録音)で、このときからチャーリー・ラウズ(ts)を加えたレギュラー・メンバーが固定化し、セロニアス・モンク・カルテットは11年間続きました。
……おわり。
いや、ほんとに、このコロンビア時代の11年のあいだに、モンクの音楽は終わってしまいました。
ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンを共演相手にしてきたモンクが、なぜにラウズのような凡人をグループのメンバーに選び、しかも11年も使い続けたのか?
ホモの世界はよく分かりません。 < 完全なる憶測。
コロンビア時代のレコードも、それほど悪いわけではありません。
『Solo Monk』(1964年10月〜1965年3月録音)のような、演奏もジャケット・デザインも愉快なレコードもあります。
これはピアノ・ソロですから、ラウズが不在ですね。
とにかく、モンクのレギュラー・カルテットの演奏は、ラウズがソロをとっているあいだが退屈極まりなく、リバーサイド盤にみられた破天荒な面白さは望めません。
そもそもJazzという音楽は、演奏それ自体を聴いて愉しむものであり、レコードはその残滓に過ぎない。記録されたJazzは、Jazzが持っている本来の魅力とは異なるものである、というのが持論なのですが、モンクの音楽はそれを裏付けます。
つまり、ナマのステージでは興味が持続する限り、平凡な演奏が続いていても次に何が出てくるか分からないハプニングへの期待があるので退屈しませんが、内容が固定化されてしまっているレコードは、それが心地よい快感を約束してくれるものでなければ繰り返し聴くことはない。繰り返し聴かないのであれば、レコードは存在の意味がない、という至極あたりまえな理論であります。
モンクが繰り出すユニークなフレーズはハプニングに満ちていて、聴いている間は退屈しませんが、手の内が分かってしまうと魅力は減退します。
最初に観たときすこぶる面白かった映画が、2度目はつまらなかったという経験は誰にでもあるでしょう。
繰り返しの鑑賞に堪え得るのは、斬新な音楽ではありません。特にモンクのような、意表をついた面白さで成立しているタイプの音楽は、常に新しいもの、他とは異なるものを追っていきます。今日は新鮮に響いていたサウンドが、明日には他の音楽に書き換えられ、瞬く間に陳腐なサウンドとなり果てます。
リバーサイド時代に試みられた様々なモンクス・ミュージックは、その創造の現場が生々しく記録され、参加者それぞれのエネルギーが普遍の面白さとなっていたのに比べ、コロンビアのモンクは、最もモンクらしくない「予定調和の無限ループ」に陥ってしまいました。
もし、ラウズじゃなくてもっと刺激の強い共演者を得ていたなら、モンクは違う新しい世界を開拓できたのでしょうか?
それとも早々に喧嘩別れして、レギュラー・カルテットを解散させていたでしょうか?
そんなことを夢想しながら、「モンクス・ドリーム Monk's Dream」を聴いてみました。
2004/10/20

She's Outrageous / Tania Maria
Outrageously Wild (Concord)

Outrageously Wild
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タニア・マリアはブラジルの歌手。ジャズ・シンガーでもないし、スタンダード・ソングも唄っていない。
ネット検索するとボサノヴァ歌手というのも見受けられますが、この人が唄っているのはボサノヴァではありません。もっと原点に近い、サンバです。
そんな畑違いの歌手がなぜ故にこのページに登場するのかというと、CDをリリースしているのがConcordだから。しかも、同レーベルの日本盤を制作販売しているビクター音楽産業が、紙ジャケ限定盤シリーズ「ヘリテッジ・オブ・ジャズ」のなかにこの人を混ぜ込んでセールスしちゃったものだから、ジャンルの境界がますます曖昧になってしまいました。
音楽を聴くのにジャンルの垣根はいらないし、Jazzが他のジャンル音楽よりも高尚とは限りません。(むしろ下品かも知れない)。また、ジャズ・シンガーがすべてのポピュラー歌手より優れているわけでもありません
スタンダード・ソングだって、初出はミュージカルや映画音楽などからの流行歌がほとんどで、ジャズメンがレパートリーに取り上げたことでJazzナンバーとして定着しました。そもそも1920年代のハーレムでは、Jazzとは大衆音楽の総称であって、キャブ・キャロウェイやファッツ・ウォーラーは大衆芸能全般に関わって活躍していたし、昭和20年代のニッポンでは、進駐軍のヤンキー野郎が聴いている音楽は、すべてジャズと呼ばれていました。
そんなゴッタ煮状況のなかからビ・バップは生まれてきたし、ビ・バップを分かりやすく聴かせるために整理整頓したハードバップもスタイルとして定着しました。喧噪的で感情的なバップに対してクールが誕生し、西海岸派の主流として発展を遂げ、またジャズは、カリプソやサンバやシャンソンやタンゴなど、世界中のあらゆる地域からの音楽を貧欲に吸収して多様化しました。
ハットリさんやミヤガワさんなど洋楽好きな邦人作曲家は、積極的にニッポンの歌謡曲に反映させ、ヒットさせています。
聴いて愉しめれば、ジャンルなんて関係ないのです。
カントリー&ウエスタン歌手のリンダ・ロンシュタットやリタ・クーリッジだって、優れたスタンダード・ソング集を録音していますし、R&Bのダイアナ・ロスやロバータ・フラックのスタンダードも結構愉しめます。
フランク・シナトラとラット・パックの連中なんて、ジャズ・シンガーなのかポピュラー歌手なのか区別できる人はいないだろうし、区別できたからといって、それで彼らの評価が変わるということはありません。
聴いて愉しめちゃえば、それでいいのです。
とは言ったものの、ジャズはジャズである。
宇多田ヒカルの「Fly Me to the Moon」や、hiro(モーニング娘。)の『ココドール』、スウィング・ガールズはJazzとは呼べない。呼ばない。呼ばさせない。
今回、アーティストや楽曲についてのコメントがないのは、以上のような理由からであります。
興味のある方は、自分で調べてください。
2004/10/21

Lotus Blossom / Kenny Dorham
Quiet Kenny (New Jazz/Prestige)

Quiet Kenny
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ケニー・ドーハムは、1924年8月31日テキサス州フェアフィールド生まれ。7歳でピアノを習い、ハイスクール時代にトランペットを始めます。
1942〜45年に兵役を務めたあと、ビリー・エクスタインやライオネル・ハンプトンの楽団に加わる一方、ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーと共演。1955年に初代ジャズ・メッセンジャーズに、翌56年に事故死したクリフォード・ブラウンの後釜としてマックス・ローチのニュー・クインテットに参加。
以上の経歴からも判るように、ドーハムは典型的なハードバッパーで、50〜60年代のモダンジャズ・シーンを代表するトランペッターと言えます。
そんなケニー・ドーハムの、日本でのダントツ人気レコードが『静かなるケニー Quiet Kenny』。そして最大の人気曲が、アルバムの冒頭に収録された、ドーハム・オリジナルの「ロータス・ブロッサム Lotus Blossom」。
ケニー・ドーハム(tp)、トミー・フラナガン(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。
1959年11月13日、ニュージャージー州ハッケンサックでの録音。
このレコードの人気の秘密は、「Lotus Blossom」をはじめ、「Blue Spring Shuffle」、「Blue Friday」など分かりやすいメロディを持ったマイナー・チューンのオリジナル曲と、「My Ideal」や「Alone Together」といった渋いバラッドが、配分良く選曲されていること。それに加え、いつもは他のホーン奏者と丁々発止のプレイを繰り広げているドーハムが、全編ワンホーンのカルテット演奏で、哀愁を帯びたトランペットの音色をたっぷり聴かせているからでしょう。
サポートするトミフラのピアノがまた、実に巧く(曲と共演者に)適応していて、宝石の如き煌めきを随所に見せています。
2004/10/22

Blue Rondo / Jackie Mclean
One Step Beyond (Blue Note)

One Step Beyond
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ジャッキー・マクリーンというアルトサックス奏者は、実に不思議な存在です。
マイルス・デイビスのグループにチャーリー・パーカー系のバッパーとして登場(1951〜55年)した後、ジョージ・ウォーリントン・クインテット(55年)を経て、チャールス・ミンガスのアバンギャルドな問題作『直立猿人 Pithecanthropus Erectus』(56年-Atlantic)に参加。そのいっぽう自己名義のリーダー・アルバムでは『4,5 and 6』(Prestige-56年)の「Sentimental Journey」や『Swing Swang Swingin'』(59年-Blue Note)の如きベタな大衆向け娯楽作品を提供。かと思うと、60年代は一転してニュー・ジャズへと傾倒し、異端児オーネット・コールマン(as)との共演盤も残しています。
それでもって、ニッポンで最も頻繁に聴かれているマクリーンのレコードは、他人名義の『Left Alone/Mal Waldron』(59年-Bethlehem)や『Cool Struttin'/Sony Clark』(58年-Blue Note)だったりもする。
だから、マクリーンのレコードを1枚だけ聴いて気に入り、闇雲にもう1枚買ったとしても、それがお気に入りとはまったく異なる傾向の演奏でガッカリした、なんてこともありえます。
しかしながら、彼のレコードをレコードを10枚、50枚と聴き続けていると、見えてくるものがあります。
それは、音楽のスタイルがどんなに変わろうとも、マクリーン自身のプレイはいつも一貫していること。周囲の環境がどんなに変化しようとも、彼の演奏の根底には常に伝統的なブルース精神があること。これだけは頑固なくらいに堅持しています。
「レフト・アローン」や「クール・ストラッティン」は言わずもがな、実験ジャズの代名詞のような「直立猿人」だって、マクリーンのアルトに焦点をあわせて聴けば、床下浸水するくらいのブルース・フレーズで溢れています。
その辺りのスタンスは、サウンドを変遷させると同時に自らの演奏スタイルも変化させていったマイルス・デイビスと対照的ですね。
『One Step Beyond』は、ドラマーに神童アンソニー(トニー)・ウィリアムスを迎えた、新レギュラー・グループの旗揚げ録音盤。
アルフレッド・ライオン(BNレーベルのオーナー)の提案により、トロンボーンのグレシャン・モンカー3世、ヴァイヴのボビー・ハッチャーソンがフロントに並び、エディ・カーンがベースに加わったピアノレスのクインテット演奏。
ハードバップ路線に見切りをつけたブルーノート・レーベルが、マクリーンにフリー・ウォームをそそのかした、不純な1枚。
1963年4月30日、ヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音。
2004/10/23

Maiden Voyage / Bobby Hutcherson
Happenings (Blue Note)

Happenings
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1960年代にブルーノートが推進していたニュー・ジャズ(新主流派)の代表的アルバム。
メンバーは、ボビー・ハッチャーソン(vib)、ハービー・ハンコック(p)、ボブ・クランショウ(b)、ジョー・チェンバース(ds)。
1966年2月8日、ヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音。
米国のジャズ雑誌「ダウンビート」誌の読者投票で「ベストアルバム」を獲得(67年度)。
「処女航海 Maiden Voyage」は、このアルバムにも参加しているハービー・ハンコックのオリジナル・ナンバーで、初出は『Maiden Voyage / Herbie Hancock』(65年-Blue Note)。
のちにマーク・マーフィーが歌詞を付けて録音したレコード(『Mark Murphy Sings』75年-Muse)もあります。
楽器編成が異なっているので一概には言えませんが、ハンコックのオリジナル演奏盤よりも、こちらのハッチャーソン盤の方が、より洗練されたサウンドになっていて、ハンコックのピアノ・プレイも冴えています。
2004/10/24

2004/10/01〜10/12 ≪ 2004/10/13〜10/24 ≫ 2004/11/12〜11/23
soe006; E-mail address; soe006@hotmail.com