ジュディ・ガーランド
Judy Garland (1922-1969)
少女ドロシーが家に駆け込んでくるところから、映画は始まる。
愛犬のトトが魔女のように怖い地主のガルチさんにぶたれたと、必死になって訴えるドロシー。しかし農場で働くおじさんたちは忙しいので、誰も相手にしてくれない。くだらないことで悩んでばかりのドロシーに、おばさんは、悩みのない国に行けばいいと言う。
月を越え、雨の中を抜けた虹の彼方に、夢が叶う場所がきっとあるに違いない……ドロシーはトトを抱きながら、「Over the Rainbow」を唄う。
ジュディ・ガーランド、1922年、ミネソタ生まれ。
ボードビル芸人の一家に育った彼女は、コーラスガールの一員として、12歳で映画にデビューした。ずば抜けた歌唱力を認められ以後数々のミュージカル映画に出演するが、いずれもその他大勢の小さな役ばかり。
そんなジュディに転機をもたらしたのが、1939年製作のファンタジー・ミュージカル、『オズの魔法使』だった。
この映画は、当初、人気子役のシャーリー・テンプルで企画されていた。
しかし会社間の取り決めによりシャーリーの出演が不可能となったため、当時無名だったジュディが抜擢されたのだ。
映画は大成功を収めた。
ジュディは一躍ミュージカル映画の看板スターとなり、ハロルド・アーレン作曲の「Over the Rainbow」は彼女のテーマソングとなった。
1950年代後半からは活躍の場を舞台に移し、ステージでの熱演はミス・ショービジネスと称されるほどの人気だったが、その一方で私生活は乱れたものになり、1969年、睡眠薬の飲み過ぎで不慮の事故死を遂げる。
まだ47歳の若さだった。
ジュディと映画監督ビンセント・ミネリとの間に生まれた娘、ライザ・ミネリは、母親はどんな女優だったかと質問された際に、「映画を見てください、説明は不要です」と語った。
ジュディの卓越した歌とダンスと演技は、その短すぎる生涯に作られた30本の映画の中に、永遠に記録されている。
今宵も、ジュディの思い出に乾杯!