ジョージ・ガーシュウィン
George Gershwin (1898-1937)
ジャズの手法がふんだんに用いられたフォーク・オペラ『ポーギーとベス』は、切ないメロディの子守唄「Summertime」によって幕を開ける。
夏が来たよ。これで暮らしやすくなるね。
魚も跳ねるし、綿も伸びるよ。
お前の父ちゃんは金持ち、それに母ちゃんは美人だよ。
さぁ、だからベイビー、もう泣くのはおよし……
ジョージ・ガーシュウィン、1898年ニューヨーク州ブルックリン生まれ。
貧しい家庭に育ったジョージは、15歳で高校を中退し、ティン・パン・アレイで楽譜を宣伝するためのピアノ弾きの職に就いた。
アービング・バーリンに憧れていたジョージは、兄のアイラの作詞を得て、この頃からポピュラー音楽の作曲を始める。
1919年、ブロードウェイで上演されたレビュー「ラ・ラ・ルシール」がロング・ヒットとなり、一際注目を集めるようになった。
アル・ジョルスンの「スワニー」がミリオンセラーを放ったのを契機に、フレッドとアデールのアステア姉弟、ボブ・ホープ、ジミー・デュランテなど、当時のスターたちはこぞって彼のナンバーをレパートリーに加え、ヒット・メイカーとしての名声は高まっていった。
そんな多忙ななか、ジョージはジャズと管弦楽の手法を巧みに融合させた「ラプソディー・イン・ブルー」、「パリのアメリカ人」などの斬新な大作を次々と発表する。
デュボース・ヘイワードの短編小説を基に制作された『ポーギーとベス』は、1935年9月、ボストンで初演の幕を開けた。
この異色のフォーク・オペラからも幾つかのヒット曲が生まれたが、なかでも夕暮れ時の船着き場で漁師の夫を待ちながら黒人女が歌う「Summertime」は、多くの歌手によって歌い継がれ、彼の代表的なナンバーとなった。
1937年7月、成功の絶頂にいたジョージは、突如として奇妙な行動をとるようになる。
走っている車から運転手を突き落とそうとしたり、暗くした寝室で身体中にチョコレートを塗りたくったり……
腫瘍が、彼の頭の中を蝕んでいたのだ。
昏睡状態に陥ったジョージは、1937年7月11日、39歳の若さでこの世を去った。
理論派の作曲家アルノルト・シェーンベルクは、「私は自分にとってかけがいのない、愛すべき友人を失いました」と、ラジオで弔辞を読み上げた。
ジョージ・ガーシュウィンが20世紀に残したヒット・ナンバーの数々は、世界中の歌手によって今日も歌い継がれ、またその一方で「ラプソディー・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」「ピアノ協奏曲へ長調」などの管弦楽作品も、コンサートでは定番のプログラムとして頻繁に演奏されている。
今宵も、ガーシュウィンに乾杯!
蛇足
『ポーギーとベス』は、1959年、オットー・プレミンジャー監督によって映画化されたが、ガーシュウィンの遺族はこの映画化に強い不満を覚え、映画に関するすべての権利を買い戻した後、存在するすべてのプリントを焼却処分してしまった。
『ポギーとベス』は幻の映画となり、我々は再び観ることはできない。
- ジョージ・ガーシュウィン soe006サイト 関連ページリンク
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