ビリー・ホリデイ
Billie Holiday (1915-1959)
ビリー・ホリデイ、1915年、メリーランド州ボルチモア生まれ。
10歳のときに感化院に収容され、14歳のとき売春の罪で投獄される。
15歳の夏、クラブのオーディションに歌手として合格。週給18ドルでステージに立つ。
1933年、ジョン・ハモンドの目にとまり、ベニー・グッドマン楽団の伴奏で初めてのレコーディング。
その後、クラブや劇場に出演を続け、1935年から3年間、テディ・ウィルソンのブランズウィック・セッションに参加。
30年代後半から40年代前半にかけて、カウント・ベイシー楽団、アーティ・ショウ楽団の専属歌手として活躍。
ミュージシャン仲間から「レディ・デイ」と呼ばれ、可愛がられる。
1946年、初めてのソロ・リサイタルを開く。
レコーディングはコンスタントに行われ、歌手としてのキャリアは絶頂期を迎えた。
その反面、私生活では結婚の破綻、母親の死去など、暗い出来事が頻発する。
1947年5月、麻薬の不法所持により逮捕。
有罪判決で刑務所に投獄され、48年2月に出所。
1954年、初めてのヨーロッパ公演。自伝「レディ・シング・ザ・ブルース」を出版。
1957年、レコード会社を移籍。
バックにストリングスと女声コーラスを配した大掛かりなレコーディングを開始する。
このときレディ・デイの喉は乾ききり、歌声は老婆の囁きのような、惨憺たるものになっていた。(Columbiaレコーディング『 Lady in Satin 』)
1958年11月、二度目のヨーロッパ公演旅行。
イタリアのスメラルド劇場、ミラノのスカラ座、パリのオランピア劇場に出演。
翌59年5月、昏睡状態で病院に運ばれる。3ヶ月後の7月、病院の廊下に放置されたままの遺体を、看護婦が発見した。
「なにも考える必要はない、ただ感じとってそれを率直に歌うだけ」
「わたしが歌うものがなんであれ、それは私の人生の一部です」
生前、ビリー・ホリデイは、そう語っていた。
今宵も、レディ・デイに乾杯!