夏よ、インディアン・サマーよ
お前は6月の雨のあとにやってくる涙のようだ
お前は叶えられなかった沢山の夢を憶えている
あの夏の日に叶えられなかったぼく夢を
終わってしまった恋の想いを、お前はじっと見ている
お前は恋の亡霊なのか、6月の恋の亡霊なのか
ぼくはお前に別れを告げたいよ
さようなら、インディアン・サマー
9月を過ぎて暦のうえでは秋なのに、急に夏がぶり返したような暑い日がありますね。これがインディアン・サマー。
日本でいう小春日和と、若干、ニュアンスが違うようです。
6月に終わったはずの恋心を、季節はずれの暑さのなかで思い出してしまう未練の歌。日本の演歌のように未練に自己陶酔するのではなく、最後はきっぱりと決別の意思表示をしているところに好感が持てます。
元は1919年のオペレッタ「The Velvet Lady(天鵞絨の女)」のためにヴィクター・ハーバードが用意していた曲でしたが、彼の死後15年くらい経ったあとにアル・デュビンが詩をつけて完成。 1939年にトミー・ドーシー楽団でフランク・シナトラが唄ったことにより、世に知られることになった曲です。
作曲のヴィクター・ハーバードは、アメリカ音楽史を語るうえで欠かせない重要な存在ですが、あまり知られていないようなので簡単に書いておきます。
(ネットで検索しても、国内のサイトではまったくHitしないんですよ)
ヴィクター・ハーバード、1859年、アイルランド生まれ。
父親は裕福な弁護士だったが、彼が3歳のときに死去。一家は作家で詩人でミュージカル台本も書いていた母方の祖父の家に身を寄せる。1865年、母親がドイツ人医師と再婚したのを期に、シュツットガルトに移る。学生オーケストラに参加し音楽の道へと進むことを決意したヴィクターは、高校を中退。ベルンハルト・コスマンにチェロを習い、シュツッガルト音楽院で作曲の勉強しながら、チェリストとしてブラームスやサン=サーンスが指揮するヨーロッパのオーケストラに参加。1988年、シュツットガルトの宮廷オーケストラに迎えられ、1990年には自ら作曲したチェロとオーケストラのための協奏曲を初演。
結婚相手のソプラノ歌手がアメリカ公演する際に同行したのを契機に、1902年に国籍を取得しアメリカに移住。亡くなる1924年までに40本以上のオペレッタを書いている。アメリカ著作権協会(ASCAP)の創設メンバー(8人)の1人でもあり、無声映画に付ける音楽を作曲した映画音楽作曲家の元祖でもある。
やがて「ウィーン風オペレッタ」は、ジェローム・カーンなど新しい世代によるミュージカルに人気を奪われ衰退。1924年、心臓発作で亡くなっている。
(この辺りの事情は、「twelve storys - Jerome Kern」も合わせてお読みください)
死後、作品と共に名前も忘れ去られつつあるヴィクター・ハーバードですが、アメリカが独自のスタイルを持つミュージカルを誕生させるに至るまでの先駆者的な作曲家だったって事実は、記録しておかなきゃいけませんね。
カリスマ・バンドリーダーのトミー・ドーシー(Tommy Dorsey)は楽団の専属歌手だったジャック・レナード(Jack Leonard)のためにこの曲を用意していましたが、トミーの我儘と罵倒に堪えきれなかったジャックはバンドを脱退。後釜のフランク・シナトラ(Frank Sinatra)が唄ってヒットさせました。そのシナトラは67年12月12日、52歳の誕生日にデューク・エリントン(Duke Ellington)との共演で録音しています。
リズムを「ラベルのボレロ」風にアレンジしたクリス・コナー(Chris Connor)の録音も面白いですよ。
- 「Indian Summer」収録アルバム (輸入盤CD)
- 「インディアン・サマー」収録アルバム (国内盤CD)
- ヴィクター・ハーバード (DVD・CD/楽譜、伝記・評伝など)
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